
わたしが会社を辞めてハンドメイド作家になった話

今回は「わたしが会社を辞めてハンドメイド作家になった話」についてお話しします。
よく「どうやって売れるようになったんですか?」と聞かれることがあります。ありがたいことに、わたしの働き方や生き方に興味を持ってくださる方が増えてきました。今回は、「なぜ会社を辞めてハンドメイド作家の道を選んだのか」「どんな壁にぶつかり、どう乗り越えてきたのか」そんなリアルな経験をお話ししたいと思います。
今、会社員として働いている方や、専業主婦として家庭に専念している方のなかには、「このままでいいのかな」と悩んでいる方もいるかもしれません。そんな方にこそ、この記事が少しでも背中を押すきっかけになればうれしいです。
そして現在わたしは、ハンドメイド作家さんや職人さんに向けた「ネット販売のノウハウ」を教えるスクールも運営しています。その根っこには、自分自身の苦い経験と、「最初からネットショップをやっておけばよかった……!」という大きな反省があるのです。
夢見た店舗販売でつまずき、軍資金を失いかけながらも、ネットショップという選択肢に出会って再起した道のり。この記事では、そんなわたしの実体験を通して、これからハンドメイドで生きていきたい方のヒントになればと思っています。ぜひ、最後までご覧ください。
才能のなさに打ちのめされた、東京藝術大学での7年間
「なぜハンドメイドでブランドを立ち上げたのか?」その質問に答えるために、わたしが芸術の道を志した原点からお話しします。
高校1年生の頃、わたしは「絶対に美大に行く」と心に決めました。そしてどうせ目指すなら、日本一の美大である東京藝術大学に挑戦しようと思ったのです。あの頃のわたしは、「一番を目指せば将来も安泰なんじゃないか」なんて、どこか無邪気に信じていました。
そして藝大に合格できたものの、入学してすぐに現実を突きつけられました。全国から集まる才能がある人たちに囲まれて、「あれ? わたしって、微妙かも……」と感じることが増えていったのです。
作品制作のたびに、どうしても周りと比べてしまう。自分なりに頑張って仕上げた作品も、同級生の前では見劣りしてしまうように感じて。「あの子の作品の方が断然面白い」って、悔しいけれど、冷静に考えると分かってしまったのです。
それでもあきらめきれず、わたしは大学院に進みました。藝大では大学院進学はわりと当たり前の流れだったし、何より山口実加というアーティストとして世界で活動したいという夢が、まだ心の中にあったから。
当時は現代アートを専攻していて、「将来はオランダやドイツに住んで、アーティスト・ヴィレッジで創作しているんだろうな」なんて、そんな未来を本気で夢見ていました。実際にヨーロッパを訪れて、現地の空気に触れては「わたしもここで生きていくんだ」って、胸をときめかせていたのです。
しかし、大学院に入っても状況は変わりませんでした。周囲でも一際注目されている人たちは、作品のレベルも発想力もずば抜けていて、わたしはその中でずっと劣等感に苦しみ続けていました。
それでも「何かしらクリエイティブな仕事がしたい」という思いだけは残っていて、大手広告代理店の就職を選択肢として考えるようになりました。だけど正直、それはわたしにとっての夢ではなかったのです。本当はアーティストとして世界を飛び回りたかったし、どこかで「会社員なんて自分には合わない」とも思っていました。
それでも一応就職活動をして、いくつかの企業で最終面接まで進みました。「ここまで来たなら、どこかには受かるだろう」と思っていたのに、結果はまさかの不採用。自分でも驚くほどのショックを受けました。
ただでさえ妥協に妥協を重ねた進路で、それすらもうまくいかなかった。「自分には何もないんじゃないか」という不安が一気に押し寄せてきて、心がぽっきり折れてしまいました。
結局、就職活動がうまくいかなかったこともあり、大学院は1年留年。18歳で入学してから、卒業までに7年もかかりました。その間、楽しい思い出もたくさんありましたが、振り返ってみるとずっと才能のなさに苦しんでいたように思います。
心が疲れ切って、眠れない日々が続きました。食欲もなくなって、体重は10キロ以上落ちていたと思います。自分に期待していた分だけ、挫折の痛みも大きかった。
「わたしは、このままじゃ終われない」そう思いながら、少しずつ、自分にできることを探し始めたのです。
「このまま終われない」迷いから見つけた新たな一歩
就職活動で味わった挫折と暗闇のなか、わたしを突き動かしたのは、「このままでは終われない」という強い想いでした。
大手広告代理店の夢が砕けたあと、「これまでの自分は何だったんだろう」「自分には価値がないのかもしれない」と、自尊心はボロボロに。けれど、どこかで「クリエイティブな仕事だけは諦めたくない」という小さな希望が消えずに残っていたのです。
まずはアートの舞台裏へ
アートマネジメント会社や行政のインターンを経て、世界的アーティストの作品販売や展覧会準備に携わりました。大好きなアートに身を置ける喜びはあったものの、実際の業務はExcelやメール返信が中心。事務的な作業に追われるうち、「これがわたしの目指すクリエイティブじゃない」と再び違和感を覚えました。
WEBデザイナーへの転職
アートは自由な発想を尊ぶ世界。そのルールのない自由さに苦しむ自分がいました。そこで出会ったのが、デザインというもうひとつのジャンルです。デザインは、クライアントのニーズや売上目標という制約のもと、「誰かのために何かをつくる」確かな手応えがあります。
大学時代にイギリスで学んだグラフィックデザインのスキルを土台に、社会人向けのWEBデザイン講座で再び学習しました。IllustratorやPhotoshopを駆使できる自信をつけたあと、挑んだ転職活動では念願のWEBデザイナーとして内定を獲得しました。
チラシやウェブサイトを制作し、それが集客や売上に直結した瞬間は「わたしの作ったもので、ちゃんと人が喜んでくれる」という達成感にあふれました。学生時代に感じていた劣等感が、一気に吹き飛んだ瞬間です。
こうして、自分には限られたルールのなかでこそ力を発揮できる適性があることに気づきました。そしてそれは、後にハンドメイド作家としてブランドを築くうえで、最も大切な売れるデザインの基盤となったのです。次章では、わたしがデザインの視点を携えてハンドメイドの世界へ飛び込んだ経緯をお話しします。
初めてのハンドメイドイベントへの出店
2013年頃、まわりのデザイナーの友人たちが週末にハンドメイドのイベントに出店していて、それがちょっとしたブームになっていました。
今でこそわたしもハンドメイド作家として活動していますが、最初に火がついたのは、周囲の影響からでした。平日は会社で働きながら、週末にはオリジナルキャラクターのイラストや手作りアクセサリーを販売している友人たちの姿に、「わたしもやってみたい」と刺激を受けたのです。
東京藝術大学を卒業してから、就職もうまくいかず、燃え尽きてしまっていました。でも、ハンドメイドを通して、ようやく「何か作りたい」という前向きな気持ちが戻ってきたのです。
当時は、貴和製作所のようなお店に行くと、作り方が載ったレシピが無料でもらえました。今はあまり見かけませんが、当時は店内に作業スペースがあって、その場で材料を買って、すぐに作ることができたのです。わたしは時間がもったいないと思って、開店から閉店まで丸一日そのスペースに入り浸って、試行錯誤を繰り返していました。
思い返すと、まさに修行期間でした。レシピを見て材料を買い、見よう見まねでとにかく手を動かす日々。そうしているうちに、「イベントにも出てみたい」という気持ちがどんどん強くなっていったのです。
高校生の頃に行ったデザインフェスタでお兄さんお姉さんたちが出店しているのを見て「かっこいいな」と憧れていました。そんな憧れのイベントに「わたしも出てみよう」と思ったのです。
今ではハンドメイド物販スクールを運営しているわたしが生徒さんにも伝えていることですが、目標には「締め切りを設けること」が大切です。気持ちが不安定なときほど、期限を決めることで前に進むことができます。
そこでわたしは「11月のデザインフェスタに出店する」と決めました。人気イベントなので出店には抽選がありますが、運よく通ることができて、夏頃から本格的に準備を始めました。
「何を作ろう?」と考えることからスタートして、まずはブランド名とロゴを決定。当時は革小物に挑戦したいと思っていたので、問屋さんで革を買ってきて、縫い方も分からないままペンケースやクラッチバッグ、メイクポーチ、メガネケースなどを作りました。
そして迎えたイベント当日。ブースもこだわって、木材を切って什器を作ったり、ロゴや小さなフラッグを手作りしたりして、わたしなりに「いい感じに仕上がった」と思っていたんです。ところが、結果はなんと、ひとつも売れませんでした。
本気で挑んだ分、ショックも大きくて……。まさか誰にも手に取ってもらえないとは思っていなかったのです。2日間も出店していたので、誰も立ち寄らないブースで、ただ立ち尽くすという地獄のような時間を過ごすことに。
「人生が変わるかもしれない」と期待して出店したイベントで、まさかの大失敗。衝撃と悔しさで「わたしの人生、踏んだり蹴ったりだな……」と、本気で思いました。
初めての出展で見えた「お客さまのニーズ」
デザインフェスタに出て衝撃を受けたのは、隣の隣のブースが大盛況だったことでした。わたしはひとつも売れずに途方に暮れていたのに、となりからは万札が飛び交う音が聞こえてくるほど。会場全体が「売れない」のではなく、「わたしだけが売れていないこと」を実感した瞬間でした。
そこで、「何が違うんだろう?」と、ブース巡りを始めました。友人と交代で店番をしながら、売れているブースの共通点を探したのです。そして気づいたのは、「作りたいものを作る」だけでは売れないという事実。はじめて「お客さまが欲しがるもの」を考えるようになりました。
試しに、売れているアクセサリーに目を向けてみると、同じ革小物でも、アクセサリーコーナーに長い列ができている。そこでわたしはすぐに貴和製作所へ走り、無料のレシピを手に材料を仕入れ、レシピ通りにアクセサリーを作ってみました。
最初は手探りでしたが、「お客さまが本当に求めるもの」を自分のブランドらしく形にするまで、何ヶ月も試作を重ねました。
「このまま終われない」。そう強く思ったわたしは、翌年5月のデザインフェスタへの再挑戦を決意しました。半年間、貴和製作所やインターネットで面白いビーズやパーツを集め、次回は違う結果が出せるはずだと試行錯誤を続けました。売れない悔しさが、わたしを「お客さまニーズが理解できるハンドメイド作家」へと進化させてくれたのです。
2回目の出展では完売!売上ゼロから人気店へ
2回目のデザインフェスタ出展を控えた直前まで、実は「何を売るか」がまだ定まっていませんでした。それでもこの半年間、わたしは人気セレクトショップのショーケースを何度も見に行き、「こういうデザインって素敵だな」と世の中の「売れているもの」に目を向けるようになっていました。
その積み重ねのなかで、ようやく「自分もこういうアクセサリーを作りたい」と思えるスタイルが固まっていったのです。
最終的に販売するアイテムが決まったのは、なんとイベント前日の夜8時。それから徹夜で在庫を仕上げ、翌朝そのまま搬入へ向かうという、まさにギリギリのスケジュールで本番を迎えました。
そして迎えた当日、信じられないことが起こったのです。なんと、ブースには開場直後から人だかりができ、向かいのブースが見えないほどの大盛況。商品は次々に売れていき、気づけば在庫は完売。急遽、オーダー受付をはじめ、「1時間後に戻ってきてください」と対応するほどの忙しさに。食事もトイレも行けず、気がつけば夕5時。手元には千円札が山のようにありました。
この時わたしは28歳。10代の頃から「頑張っても報われない」と感じる日々が続いていて、10年間近く、もがき続けていました。でもこの日、初めて「商品が飛ぶように売れる」という体験をして、自分のなかで何かが大きく変わりました。
その変化は、「作りたいもの」から「求められるもの」へと視点を切り替えたことによるものでした。自分の世界に閉じこもるのではなく、「お客さまが欲しいものは何か?」と視野を広げて考えた結果だったのです。
だから今、わたしがハンドメイドスクールの生徒さんたちにも、常に伝えているのはこういうことです。「自分が作りたいもの」を軸にするのではなく、「誰のために作るのか」「どんな人がそれを必要としているのか」と、客観的な視点を持って制作していますか?ということを。
それは、わたし自身の転機となったリアルな経験から来ているメッセージなのです。
マーケティングの重要性
その後、わたしは販売方法をネットショップに完全に切り替えました。なぜなら、実店舗やイベントへの出展はどうしても経費が高くなり、リスクも大きいからです。
ネットショップなら、出店手数料も比較的安く抑えられますし、人件費もかかりません。特にわたしにとって大きかったのは、在庫の負担が大幅に減ることでした。本業としてやっていくなかで、在庫を抱えるストレスが本当に重くのしかかってきました。注文を受けてから3日以内に商品を制作・発送するスタイルは、わたしにとって理想的でした。
ネットショップに切り替えてから、わたしのブランドの経営状態はかなり好転しました。だからこそ、今この記事を読んでくださっているあなたにも、まずはネットショップから始めてほしいのです。
実は、わたしもかつてはマーケティングなんて全く知りませんでした。でもネットショップの世界は、WEBマーケティングが非常に重要なのです。
ハンドメイド販売はまず商品をつくるところからスタートします。そしてネットショップを開設する。しかし、お店を開いただけでは売れません。ここからが本当のスタートなんです。
お客さまに来てもらうための工夫が必要になります。イベントでいうなら、ブースを出しただけでは誰も立ち寄ってくれない。わたしが初めて参加したデザインフェスタでは、誰も近づいてくれませんでした。
お客さまがブースに足を止めてくれて、はじめて販売のチャンスが生まれるわけですよね。ネットショップもまったく同じです。
実際、ネットショップでは「100人に1人が購入してくれる」とよく言われています。つまり、1日に100人以上がショップに訪れるような仕組みを作らないと、継続的な販売は難しいのです。こうした集客の仕組みづくりは、すべてWEBマーケティングの知識とスキルに関わってきます。
そういった内容を、一貫して体系的に学べるのが、わたしが運営している「ハンドメイド物販スクール」です。この内容は拙著「ハンドメイド副業 月10万円稼ぐ本」にも詳しく書いているので、よければそちらも手に取ってみてください。
ネットショップへの集客には、SNSも大きな武器になります。InstagramやGoogle検索から来てもらうための工夫も必要です。つまり、「お客さまに見つけてもらう努力」が欠かせないのです。
そして、こうしたマーケティングの流れをきちんと理解して実践すれば、ネットショップはまるで自動販売機のように「勝手に売れていく」状態に近づきます。結果、売上も安定していくのです。
SEO対策をして検索上位に表示されるようにしておけば、毎日多くの人に見てもらえる。つまり「毎日売れる」が現実になっていきます。
作家にとって大切なのは、制作に集中できる時間を確保すること。その意味でも、時間配分しやすいネットショップは非常に相性がいいのです。もちろん、マルシェやイベントへの出店も良い経験になります。ただ、売上のメインはネットショップに置いて、イベントはあくまでも「広告宣伝」として捉えるといいと思います。
わたし自身、Creema・minne・iichi・tetote・Etsy・ヤフオクなど、ありとあらゆるネットショップに出店してきました。よく聞かれますが、「どのネットショップが合うか」は実際にやってみないとわかりません。だからこそ、無料で出店できるサービスにはどんどん挑戦してみてほしいと思います。
また、目指す売上によって選ぶべきショップも変わってきます。たとえば、ハンドメイドマーケットでは月5万円〜10万円の売上が限界ということもあります。わたしのように会社を辞めて本業にしている場合、それでは足りません。だから今は楽天やAmazonなど、月100万円を目指しやすい販売サイトに注力しています。
ブランドを立ち上げてから12年、さまざまな経験を経てわかったのは、「ネットショップが作家にとってもっとも経済的で、かつ負担が少ない販売方法である」ということ。だからこそ、わたしはそのノウハウを「ハンドメイド物販スクール」でお伝えしています。
まとめ
わたしは現在、自分のブランド運営とハンドメイド物販スクールで活動しています。何よりも「ものづくりによって生きていきたい」という強い思いがあるからです。小さい頃から絵を描くのが大好きで、いつか「お絵描き屋さん」になるのが夢でした。振り返ると、常に「何かを作る人」であり続けたいと思ってきたのです。
作家としてものづくりを仕事にするのは、一般的な会社員や営業職になるよりも狭き門です。しかし、インターネットやネットショップ、SNSが普及した今は、初期投資を最小限に抑えながら作品を商品化し、世界中の人に届けられるチャンスにあふれています。
だからこそ、オンラインマーケティングをしっかり学び、あなたの作品を商品に変えて売上を得る方法を身につけてほしい。実際、ものづくりに専念しながらもしっかり収入を得られる環境を整えることが、クリエイターとして最も幸せな生き方だとわたしは考えています。
現在わたしが主宰する「ハンドメイド物販スクール」では、ネットショップ運営やWEBマーケティングのノウハウを体系的にお伝えし、多くの作家さんが安定して売れるようサポートしています。ご興味のある方は、スクールの説明会にぜひご参加ください。
クリエイティブな才能は、他の誰にも真似できないあなたの宝物です。それを活かさない手はありません。わたし自身、「ものづくりが好きな人がそれを仕事にできない世の中」はおかしいと心から思っています。
だからこそ、あなたには才能に見合った対価を得てほしい。ネットショップ運営やマーケティングの相談は、コメント欄やLINEからお気軽にどうぞ。YouTubeでも役立つ情報を発信していますので、そちらもあわせてご覧いただければうれしいです。
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